創価学会員に思うこと

私は創価学会を辞めて、12年の歳月が経ちました。
学会員の中にも、自らが創価学会員であることを隠し、
仕事をされている方々が多くいます。

その中で特に目立つのが福祉関連の業務に携わる方々が多いという
統計もあります。

私はそのような方々を学会員でなく、一人の人として見ており、
理由を述べれば、自らを学会員であることを隠しているからです。

そんな状況を私は、良いと思う反面もあれば、仕事に対する姿勢から
"やっぱり学会員だな"と思う反面もあります。

公明党が推進した介護事業に関して、不満はあるものの、大きな取り組み
をしたと思うのも、正直な思いです。

インターネットで見る創価学会員の姿は、私が現場で目にする学会員の姿とは
全く別人でした。

創価学会批判をすれば、未活であること=それは学会員であることには変わり
ないのに、学会を未活の人が批判し、他者が創価学会を批判すると、反論してくる
などはカルトマインドコントロールの域を脱していないことが容易に分かります。


多くの学会員とリアルで接してきた私にとって、かけがいのないことは障碍者に対する
配慮が福祉関連の学会員の方々には多く、事業の枠を超え、寄り添う思いが強く感じ
取れることです。すべてと申し上げませんが、私がかかわった創価学会員の方々は
そうでした。私は創価学会が嫌いだと公に言い続けているにも関わらずです。

受容の精神、それは受け止める精神の構築がはっきりとあるということでした。

私が求める創価学会の姿として切望するのは、創価学会教義に捕らわれず、慈善事業
としての創価学会を目指す方向はないのか、非常に期待をしているところです。

多くの新興宗教と政治のかかわりが、大きく取沙汰されている中、社会から需要される
要因として創価学会は今後、大きな福祉事業に関する展開をするべきだと考えます。

まとめますと、ネットに内在する創価学会員とリアルにいる創価学会員では雲泥の差
ほども、人間性、受容性、寛容性、忍耐性が異なるということです。