2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

光陰矢のごとし

光陰矢のごとし。昨日まで青々としていた田も、今日はすっかり色が変わり、山の木の葉も風に乱れて、余はまさに秋の風情たけなわ。それにつけても、世のありさまはさておき、 私のせまい交際範囲の中でも、変化を数え上げればけっして少なくない。 昨日見し…

人生、客人として処すべし

短気をおこさず信心を穏やかにもち、つねに倹約に心がけて金の備えをすべし。倹約の仕方としては、不自由を忍べばよいのである。この世に客として招かれてきたのだと思えば、なんでも平気だ。朝夕の食事がまずくても、うまいといって食べるべし。客の身なの…

月とむら雲

自分を害する者がいても寛大に赦してやること。自分が相手の立場ならもっとこっぴどくやっつけるだろうなどと空想すれば、相手の力不足がかえって憐れに見えてくる。こちらは平気なのに、相手は自らまねいて手ひどい傷を負っているのだ。むら雲が月の光をさ…

種まき

努力が実るかどうかは天にまかせて、自分はただひたすらその日その日の勤めを果たせばよい。思い通りの成果でなくても、失敗ではない。種をうえて一月で成長するものも、百年後に芽を出すものもある。人生ははてしない種まき。発芽も収穫も天の意のまま。 明…

天を相手にせよ

明治十年(1877年)の今日、西郷隆盛(南洲)が城山で戦死した。以下、西郷の言葉である。 (道)は天地ありのままの指針であり、人はそれに沿って歩むべきもの。ゆえに、結局は天を敬うことが人生の目的。天は自分もまったく差別なく愛するので、自分を愛する心…

武士道的一日一言 9月23日

人に誉められたら、一歩退いて、「自分はそれに値するだろうか」と胸に問え。心に恥じるところがあれば、褒め言葉に値する自分になるよう努めるがよい。人にけなされたら、一歩退いて、「自分はそれに値するだろうか」と胸に問え。自分の中にけなされる理由…