2022-01-01から1年間の記事一覧

御本尊のお姿が違う?

元々、ご本尊とは化儀の上で、曼荼羅正意になったのであり、日蓮大聖人様のお姿と御歴代のお姿が違うのは当然なのである。 血脈と法体と、御本尊のお姿が同一でなければならない文証はない。ではなぜならば、大石寺と京都要法寺は二寺一か寺として成立した。…

研究に際しての下調べと資料収集

今回の研究は、石要関連の研究(大石寺と要法寺)をテーマに進めています。 私はあくまで、在野研究であり、仕事をしながらの研究ですので、中々、現地に赴いて 現場の資料収集が難しいため、県史、市史の下調べをしたのちに、その県史、市史に掲載されない古…

信心の原点(上)を読んで

私は創価学会員であった頃、トランス題目(ひたすら早く唱える題目)を続けて以来、不眠症になってしまった。 当時はわからなかったが、多くの創価学会脱会者と交流し、多くの方々が不眠症やうつ病などに悩まされていた。 そんなとき、いったん、題目を辞めて…

一道清浄と一月三星・心果清浄の事

一道清浄 一道とは衆生を悟りへおもむかせる唯一の真実の法理。清浄とは浄らかで煩悩の穢れをはなれているとの意で、あらゆるものの中に普遍的に存在している清浄無垢の仏性をさす。したがって一道清浄とはあらゆるものの中に清浄な生命の仏性があるという十…

創価学会員に思うこと

私は創価学会を辞めて、12年の歳月が経ちました。学会員の中にも、自らが創価学会員であることを隠し、仕事をされている方々が多くいます。 その中で特に目立つのが福祉関連の業務に携わる方々が多いという統計もあります。 私はそのような方々を学会員で…

日興「申状」

日蓮聖人ノ弟子日興重ネテ言上ス。/ 欲ス早ク対治シテ爾前迹門ノ謗法ヲ被ルレ立テ法華本門ノ正法ヲ者、可キ為ル天下泰平・国土安穏事ヲ。/ 副ヘ進ス 先師之申状等。一巻 立正安国論〈文応元年ノ勘文〉。一通 文永五年ノ申状。一通 同八年ノ申状…

宿屋入道許御状

其の後書絶えて申さず不審極り無く候。抑、去ぬる正嘉元年〈丁巳〉八月二十三日戌亥刻の大地震、日蓮諸経を引きて之れを勘へたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作(な)して起こす所の災ひなり。若し此れを対治無くん…

非凡の人

腹が立つのには。当然のりゆうがあるだろう。理由もなしに腹をたてるのは狂気のさたである。 理由があって腹が立つのは普通の人。理由があっても腹を立てないのが非凡の人。かくありたし。 いかりをばしづむる時は世の海の波風とてもいとはざりけり 心には怒…

戊申詔書

明治四十一年(西暦1908年)の今日、戊申詔書が下された。現在、文明が日々発達し、東西の国々が助け合いながら進歩の恩恵にあずかっている。益々諸国との交わりを広め、友好関係を深め、ともに長く発展することを期したいが、めざましい進歩に寄り添って文明…

馬鹿者

人が自分の悪口をいうのを聞いて、自分の至らぬところに気づけば、大きな拾い物をしたようなものだ。悪口が見当ちがいなら、そんなことを言う者が馬鹿まるだしということだけのこと。まともに馬鹿者の相手になるのは、その馬鹿者に輪をかけた馬鹿者である。…

三徳

三つの徳。/ ①大涅槃に具わる法身・般若・解脱の三徳で、三徳秘密蔵という。一切に具わる真如としての法身と、真理を悟る智恵としての般若と、煩悩の束縛を離れ生死の苦界から脱却した解脱をいう。伊字の三点や摩醯首羅天の三目のように三徳一体とされる。…

苦難

つらいと感じたときには、他の人もそれぞれにつらい思いのあることを忘れてはならない。天は決して自分だけに苦を与えるのではない。 自分にあたる風は人にもあたり、自分を濡らす雨は、他の人をも濡らすのだ。 一筋にこころ定めよ浜千鳥いづくの浦も波風ぞ…

親子の愛

安政二年(西暦1855年)の今日、江戸で大地震があり、その際に藤田東湖は親を思う子の気持ちにまさるものは、子を思う親の気持ちだという。 お互いの思いやりがあってこそ、人間は万物の霊長と称されるにふさわしい。親子の愛は人類の愛の根源である。 明治天…

銭使い

天保六年(西暦1835年)の今日、天保銭が鋳造され、明治三十年(西暦1897年)の今日、金本位制が実施された。 金銭に淡白なのは誰しもほめるが、人からむしり取ったような金は湯水のように使っても誉めるんいあたいしない。額に汗して金をかせぐにしろ、義理を欠…

光陰矢のごとし

光陰矢のごとし。昨日まで青々としていた田も、今日はすっかり色が変わり、山の木の葉も風に乱れて、余はまさに秋の風情たけなわ。それにつけても、世のありさまはさておき、 私のせまい交際範囲の中でも、変化を数え上げればけっして少なくない。 昨日見し…

人生、客人として処すべし

短気をおこさず信心を穏やかにもち、つねに倹約に心がけて金の備えをすべし。倹約の仕方としては、不自由を忍べばよいのである。この世に客として招かれてきたのだと思えば、なんでも平気だ。朝夕の食事がまずくても、うまいといって食べるべし。客の身なの…

月とむら雲

自分を害する者がいても寛大に赦してやること。自分が相手の立場ならもっとこっぴどくやっつけるだろうなどと空想すれば、相手の力不足がかえって憐れに見えてくる。こちらは平気なのに、相手は自らまねいて手ひどい傷を負っているのだ。むら雲が月の光をさ…

種まき

努力が実るかどうかは天にまかせて、自分はただひたすらその日その日の勤めを果たせばよい。思い通りの成果でなくても、失敗ではない。種をうえて一月で成長するものも、百年後に芽を出すものもある。人生ははてしない種まき。発芽も収穫も天の意のまま。 明…

天を相手にせよ

明治十年(1877年)の今日、西郷隆盛(南洲)が城山で戦死した。以下、西郷の言葉である。 (道)は天地ありのままの指針であり、人はそれに沿って歩むべきもの。ゆえに、結局は天を敬うことが人生の目的。天は自分もまったく差別なく愛するので、自分を愛する心…

武士道的一日一言 9月23日

人に誉められたら、一歩退いて、「自分はそれに値するだろうか」と胸に問え。心に恥じるところがあれば、褒め言葉に値する自分になるよう努めるがよい。人にけなされたら、一歩退いて、「自分はそれに値するだろうか」と胸に問え。自分の中にけなされる理由…

灌頂と洗礼

真言密教の信徒になるには一つの儀式が必要です。 その一つに"灌頂"が挙げられます。 初心者は宇宙を支配する大日如来と縁を結ぶ結縁灌頂を受けます。 目隠しして胎蔵界曼荼羅.金剛界曼荼羅上に華を投じて、落ちた 所の仏と縁を結ぶとされていて、その場で頭…